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ショパンのバラード

久しぶりに
急に当日思い立って
ピアノのコンサートに

お付き合いのピアノコンサートをのぞくと
1995年6月のデ・ラローチャ以来
(この時もたまたま寄った当時の石丸電気の店員さんからチケットをいただいて行ったので
自分から主体的に行ったには入らないかもしれない)
この時はシューマンが素晴らしかった

なぜピアノを弾いているのにピアノのコンサートに行かないかというと
予想通りの演奏かそれ以下で「つまらないから」と
ホールによっては音がもじゃもじゃしてしまいCDで聴いたほうのが細部が美しく聞えるから

今回ちょっとショパンのバラードを弾く機会があるので
4曲のバラードがプログラムにのるということで
河村尚子さんのコンサートに出かけた

オールショパンのコンサートなので、女性ばっかりかなと思ってたら
私より年上のおじさん(私も十分におじさんだが)が一杯!

10年後にコンサートをひらいたら、お客さんのほとんどが天国に行ってしまうんでは・・・

え!若い人はショパンを聴かない?
ピアノのコンサート会場ってこんなにおじさんばっかりだったっけ

かんじんのコンサートは
知的なプログラミングに関心(ちょっと残念ながら彼女の先生のアイディアだそう)

ついでに、批判を覚悟で書くと
お客さんももう少しきれいな格好でコンサートに参加できないものだろうか
日常も非日常もみんな一緒じゃつまらないじゃん
(ヨーロッパもそうなんですよね)

河村さんもコンサートの途中の会話で
ここに来るのは初めてだとか、観光をしてみたいとか
「子守唄」を弾く前に子どもが生まれたたか、泣き止まないとか
必要でしょうか
ショパンの「子守唄」は子どもを寝かせるために、
決して書いたわけではないのだから

せっかくの演奏がなんかチープな印象に
残念

CDではポリーニが孫が生まれたなんて決していわないから「好き」
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新国立劇場 パルジファルとLED

DSC03286b1.jpg
オーケストラ2列目中央席
まずびっくりしたのが、飯守さんの頭が、サロメの首のように現れたこと
こんなに目の前にオケピがあるとは

LEDと上下に移動するテーブル、そして---(まだ公演が終了していませんので詳細は控えます)を多用した舞台装置
ちょうどLEDでノーベル物理学賞受賞をニュースが伝えているなかでこの演出を見ると、感慨もひとしお

彼らがいなければこの美しい舞台は存在しなかったんだ

エンディングと3人の僧侶には違和感を覚えたが
なかなかのできではなかったでしょうか

ハイテク?を用いながらも、わかりやすい演出
そしてソリストたちの安定したでき

日本でこのレベルのパルジファルを聴けるようになったことはすばらしい

でもワーグナーさんちょっと長すぎませんか
理屈っぽ過ぎませんか

そして、超俗人のあなたが、聖なるものを無理やり語るしらじらさ、うそっぽさだけはどうしてもぬぐえません
(バッハだって超俗人だったろうと反撃をくいそうですが・・・)

そうはいっても、舞台芸術として鑑賞対象の「パルジファル」はやっぱりすばらしい

お尻の痛ささえ我慢できれば、一見一聴の価値は、あり

ショパンの楽譜とエキエル

ショパン楽譜
8月15日、ヤン・エキエル(Jan Ekier)が亡くなった
もう少して101歳だった

エキエルはショパンを弾く場合、彼を避けては曲にならない存在だった(これからもしばらくはそれが続くだろうが)
まずウィーン原典版で彼の校訂する楽譜を知り
ナショナル・エディション(現在はエキエル・エディションとしての方が通りが良い)として出された彼の再校訂した楽譜にびっくりしたものだった
これまで聴いてきた巨匠たちの音符との違いに大いにとまどったものだった
そして、解説が別紙になっていて弾いている楽譜と照らし合わせて見られることも新しかった
(これが彼の考えによるものかはわからないが)

現在ではそのエキエル版がショパンの楽譜の基準となっている

エキエルは慣習で弾かれてきたロマン派の音楽でも、バロックや古典派の音楽同様、原典版が重要であることを教えてくれた大きな存在であった

写真左よりコルトー版、バデレフスキ版、ヘンレ版、ウィーン原典版、ナショナルエディション(ポーランド語版)版のショパンの楽譜 

ロリン・マゼール

maazel1.jpg
ここのところ、指揮者の追悼記事が多くなった
大きな指揮者の世代交代の時期なのだろうか
7月13日、ロリン・マゼールが亡くなった。
私にとってマゼールは小学生のころから当たり前のように聴いてきた指揮者だった。
当たり前すぎて、彼の「特長」などというものを意識して聴いてもいなかった気がする。
要するに、特にロマン派の音楽は彼がある種の生で聴ける「基準」だったのかもしれない。
マゼールがウィーンを離れる1年前、1983年にウィーンフィルと来日したコンサートはそれを確かなものにしてくれた。
リヒャルト・シュトラウスに対する彼の演奏は、自分の「基準」として今でも記憶にとどまっている。

thanks for your music gift

小澤征爾 水戸室内管弦楽団 第90回定期演奏会

IMG_06041.jpg
DSC_57771.jpg
24年ぶりに小澤征爾指揮、水戸室内管弦楽団演奏会に
土日は都内の仕事が入ることが多いので、事前にコンサートの予約をできるだけいれないようにしている。
たまたま当日朝、9:30に3台の電話を駆使して水戸芸術館に電話をすると、
携帯の電話が繋がった。
最後の1枚とのこと。
急遽、日曜日にしなければならない仕事を片付け、着替えて水戸に
(実は金曜日にも繋がったが、補助椅子2列目で、
舞台は見えないかもしれないとのことでキャンセル
今回行こうと思ったのはもちろん小澤さんを久しぶりに聴きたかったこともあるが、
演奏者メンバーの中に以前一緒に音楽を演奏していた奏者を演奏者名簿で見つけたこともある)

ティンパニーのソロが聴けなかったのは残念だったが
小澤のベートーベンの7番は聴きごたえがあった

小澤が楽団員とともに登場すると、客席も雰囲気が一変
そして演奏も一変
それまで2曲の音はきれいだが、なんとなく言葉は悪いがしまりのない、家庭的な演奏が激変
古くはクルトマズア指揮のライプチヒ管弦楽団から、
ベルリンフィルなどさまざまなわりと大きな編成で聴いてきた7番だったが、
コントラバス2本という編成で聴くのは初めて

それぞれの楽員がベートーベンや聴衆のために演奏するというよりは
小澤の思いへ向けて演奏していると思ったのは私だけだろうか
結果はもちろんそれでよかったが

水戸芸術館というホールで、
この編成での7番は贅沢な演奏会でもあった
(フォルテでのバイオリンの高音がキンキン響く点は場所のせい?)

欲を言えば、もちろん好みにもよるが、ティンパニーの切れがいまいちだったかな
(なんか盆踊りの太皷みたい-聴いた座席のせいかもしれないが)
またコントラバスはあと1本欲しかったかな
音符上多少仕方がないと思うが、ホルンの精度がもう少し上がればな

1曲目に演奏されたメンデルスゾーンの弦楽のための交響曲はこれだけのメンバーが演奏しても
音楽的なレベルは・・・でも12歳で書いたメンデルスゾーンはやはり天才
2曲目のモーツアルトのオーボエコンチェルトは、ソロがオケメンバーのソロの域を脱していないというかなんというか
フィンガーリングや音程感など基本的なところで、あれっと思ってしまう
(たまたま調子が悪かったのかもしれない)

不満らしきことも書いたが、
このような演奏会が開かれること自体、なんといっても素晴らしい
そしてNHKにより生中継されたことも素晴らしい

小澤さんも、水戸室内管弦楽団にも、ますます、頑張ってもらいたい

thanks a lot!

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