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ジークフリート 新国立劇場 6/7

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右:1983年日本初演時のプログラム/左:2017年新国立劇場プログラム


1983年東京文化、若杉弘指揮で日本初演を観たジークフリート
あの時は字幕もなく、ただただ騒々しいく饒舌な音楽に辟易した
若杉さんが健闘している姿とどうしようもなくがなり立ててた金管が印象に残った

あれから30年以上がたち2017年6月7日新国立劇場でのジークフリート
何よりも字幕の技術が進歩し、オケが洗練され、休憩時間を含め約6時間が全く違った時間の流れとなった
(字幕なしにこのオペラ?を観たと思うと・・・)

すべてのソリストがすばらしい
ジークフリート役のグールドはもちろん、
ジークフリートのなかで大好きなエルダとさすらい人のやり取りも見事
二人のやり取りが始まる前の前奏曲の部分から鳥肌もの

オケピにあふれんばかりの東京交響楽団も飯森さんの指揮に食らいついていた
ワルキューレの時のオケの響きとは全く異なる豊かな響き
(もちろんウィーンとかドレスデンの豊潤な響きにはまだまだだが)

演出に少し不満が残った
特に第二幕はおそらく演出のせいで長く感じた

日本でこれだけのレベルの演奏・舞台が楽しめるようになったとは
今日も客席はほぼ満杯

次の神々の黄昏が楽しみ

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今日はオケピの撮影まで許可されました
(小さくてよく見えませんがハープは6台ではなく4台でした)
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ショパンのバラード

久しぶりに
急に当日思い立って
ピアノのコンサートに

お付き合いのピアノコンサートをのぞくと
1995年6月のデ・ラローチャ以来
(この時もたまたま寄った当時の石丸電気の店員さんからチケットをいただいて行ったので
自分から主体的に行ったには入らないかもしれない)
この時はシューマンが素晴らしかった

なぜピアノを弾いているのにピアノのコンサートに行かないかというと
予想通りの演奏かそれ以下で「つまらないから」と
ホールによっては音がもじゃもじゃしてしまいCDで聴いたほうのが細部が美しく聞えるから

今回ちょっとショパンのバラードを弾く機会があるので
4曲のバラードがプログラムにのるということで
河村尚子さんのコンサートに出かけた

オールショパンのコンサートなので、女性ばっかりかなと思ってたら
私より年上のおじさん(私も十分におじさんだが)が一杯!

10年後にコンサートをひらいたら、お客さんのほとんどが天国に行ってしまうんでは・・・

え!若い人はショパンを聴かない?
ピアノのコンサート会場ってこんなにおじさんばっかりだったっけ

かんじんのコンサートは
知的なプログラミングに関心(ちょっと残念ながら彼女の先生のアイディアだそう)

ついでに、批判を覚悟で書くと
お客さんももう少しきれいな格好でコンサートに参加できないものだろうか
日常も非日常もみんな一緒じゃつまらないじゃん
(ヨーロッパもそうなんですよね)

河村さんもコンサートの途中の会話で
ここに来るのは初めてだとか、観光をしてみたいとか
「子守唄」を弾く前に子どもが生まれたたか、泣き止まないとか
必要でしょうか
ショパンの「子守唄」は子どもを寝かせるために、
決して書いたわけではないのだから

せっかくの演奏がなんかチープな印象に
残念

CDではポリーニが孫が生まれたなんて決していわないから「好き」

新国立劇場 パルジファルとLED

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オーケストラ2列目中央席
まずびっくりしたのが、飯守さんの頭が、サロメの首のように現れたこと
こんなに目の前にオケピがあるとは

LEDと上下に移動するテーブル、そして---(まだ公演が終了していませんので詳細は控えます)を多用した舞台装置
ちょうどLEDでノーベル物理学賞受賞をニュースが伝えているなかでこの演出を見ると、感慨もひとしお

彼らがいなければこの美しい舞台は存在しなかったんだ

エンディングと3人の僧侶には違和感を覚えたが
なかなかのできではなかったでしょうか

ハイテク?を用いながらも、わかりやすい演出
そしてソリストたちの安定したでき

日本でこのレベルのパルジファルを聴けるようになったことはすばらしい

でもワーグナーさんちょっと長すぎませんか
理屈っぽ過ぎませんか

そして、超俗人のあなたが、聖なるものを無理やり語るしらじらさ、うそっぽさだけはどうしてもぬぐえません
(バッハだって超俗人だったろうと反撃をくいそうですが・・・)

そうはいっても、舞台芸術として鑑賞対象の「パルジファル」はやっぱりすばらしい

お尻の痛ささえ我慢できれば、一見一聴の価値は、あり

ショパンの楽譜とエキエル

ショパン楽譜
8月15日、ヤン・エキエル(Jan Ekier)が亡くなった
もう少して101歳だった

エキエルはショパンを弾く場合、彼を避けては曲にならない存在だった(これからもしばらくはそれが続くだろうが)
まずウィーン原典版で彼の校訂する楽譜を知り
ナショナル・エディション(現在はエキエル・エディションとしての方が通りが良い)として出された彼の再校訂した楽譜にびっくりしたものだった
これまで聴いてきた巨匠たちの音符との違いに大いにとまどったものだった
そして、解説が別紙になっていて弾いている楽譜と照らし合わせて見られることも新しかった
(これが彼の考えによるものかはわからないが)

現在ではそのエキエル版がショパンの楽譜の基準となっている

エキエルは慣習で弾かれてきたロマン派の音楽でも、バロックや古典派の音楽同様、原典版が重要であることを教えてくれた大きな存在であった

写真左よりコルトー版、バデレフスキ版、ヘンレ版、ウィーン原典版、ナショナルエディション(ポーランド語版)版のショパンの楽譜 

ロリン・マゼール

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ここのところ、指揮者の追悼記事が多くなった
大きな指揮者の世代交代の時期なのだろうか
7月13日、ロリン・マゼールが亡くなった。
私にとってマゼールは小学生のころから当たり前のように聴いてきた指揮者だった。
当たり前すぎて、彼の「特長」などというものを意識して聴いてもいなかった気がする。
要するに、特にロマン派の音楽は彼がある種の生で聴ける「基準」だったのかもしれない。
マゼールがウィーンを離れる1年前、1983年にウィーンフィルと来日したコンサートはそれを確かなものにしてくれた。
リヒャルト・シュトラウスに対する彼の演奏は、自分の「基準」として今でも記憶にとどまっている。

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