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オリンピック組織委員会


次のオリンピック組織委員会の長を
森さんが一人で勝手に決められる?
そしてその候補者が
まだ決まってもいないのに
ペラペラマスコミに話しをする

なにやってるの
みんないい歳して

ブタペストと音楽

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1988年本来はモスクワからウィーンに降りるべき航空機が急遽ブタペストに変更となった

当日、ウィーンでオペラがあるとアエロフロート(ソ連の航空会社)に伝えると

「大丈夫 間に合うように車でウィーンに送ります」

しかもブタペスト観光何とかというハンガーの公社の
ガイド(片言の日本語と英語の話せる)付きで案内、有名店で昼食付というものだった

恐る恐るブタペスト(何せ当時は共産主義の国家で何の知識もなかったので)行きの飛行機に乗り込む

なんとその飛行機は自由席で、好きなところに座ってと言われてびっくり

ガラガラの飛行機に乗っているのは座席に着くなり編み物を始めるおばさんなど

当時西側の飛行機の様相とは全く違っていた

なんかローカルなのんびりとものだった

ブタペストに降りる寸前、高校で習った三圃式農業が手に取るようにわかる光景で

ここはハンガリーだと実感した(記憶が正しければ教科書の三圃式農業の写真がハンガリーと説明があった)


ところで今回の本題

ブタペストと音楽

ブタペストで驚いたこと
1 日本語のカタカナを知っている人が多かった
2 バルトークはブタペストとではメジャーな作曲家ではなかったこと

当時ブタペストで小林研一郎を知らない人は少なかった
日本で音楽を勉強してるというと
オウム返しのように「小林研一郎」の名前がでてきた

小林研一郎とハンガリーのかかわりを受賞から見ると

1974年:第1回ブダペスト国際指揮者コンクール第1位、特別賞
1986年:ハンガリー政府より、リスト記念勲章授与
1990年:ハンガリー文化勲章
1994年:ハンガリー政府より、星付中十字勲章授与(民間人として最高位)

ということになる

小林研一郎のおかげで日本で音楽を勉強しているという事実は
ブタペストでとても有利にはたらいた

小林研一郎の人気で日本語の勉強を始めたという人も多かった

それでカタカナを知っているブタペストの人が多かったのだ

バルトークについては拍子抜けするほど
当時のハンガリー人の評価は低かった

バルトークを学びたいと言うと必ず「なぜ」と返されたものだった

バルトークの6曲の弦楽四重奏曲集は今でも大好きだ
特に3番
(N響のメンバーに無理を言ってバルトークの3番を演奏してもらったほど)

当時バルトークのカルテットがベートーヴェンのそれに次いで重要なんて言っても
「何それ」「バルトークがベートーヴェンと比較できる?」という反応

それからブタペスト、ハンガリーには行っていない

卒業生が室内楽のチェリストとしてその後ハンガリーを回ったが
彼の話では
「ハンガリーは大きく変わった
良くも悪くも」



写真冒頭:マーチャーシュ教会
12/25 ハイドンのミサをオケ付きで演奏していた 感動した!!
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聖イシュトヴァーン大聖堂
長い残響でのパレストリーナのミサに感動した

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マーラーが棒を振っていた国立歌劇場

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リスト音楽院


コロナ

都知事が卒業旅行も控えてくださいと言ったら

若いコメンテーター「戦時中の政治家の発言と同じ」だって

「卒業旅行を控えて」という発言のどこが戦時中の発言と一緒なんだ

「卒業旅行を控えて」くらい言われて
そんな風に過剰に反応するコメンテーター
馬鹿みたい


テレビでそんなこと偉そうに発言するなら
もっとしっかり勉強してから発言しろよ!

ここのところテレビに出ている若めなどこの馬の骨かもわからないコメンテーターの発言
いらいらする

あれが今の若者のオピニオンリーダーとは思いたくない!
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DesignDuke

Author:DesignDuke
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